コース:笹倉温泉-林道第2ゲート~
タイム:第2G~登山口~大曲~地獄谷~泊岩~山頂~第2G
レポート:KK
焼山へやってきた |
1974年(昭和49年)7月28日未明に焼山が突然噴火した。前日に泊岩付近でテントを張っていた千葉大生3名が巻き添えとなる事故が起きている。御嶽山の噴火事故の記憶も新しく、この山だって今この瞬間にド~ンと来るかもしれない。地球は生きているのだ。
お盆休みも最終日。休んでいる間は、あっという間に過ぎ去っていく。今日は、一度は行ってみなくてと思っていた頚城の焼山。7月にIHさんが登っており、記録を頼りにNIさんと向かった。朝5時、第2ゲート前には先行者の車が4台程。暑さを防ぐための早出なのだろうか。我々も元気よくスタート。ひたすら林道を行く。積雪期何度か訪れているので、おおよその土地勘はある。歩くこと1時間強、やっとシェルターのある登山口に着いた。
よく整備された登山道を進むと展望台。焼山と火打山が前方に現れたテンションあがる。そして大曲。焼山北面台地の上部が窺える。来季は再訪したい。その後登山道は、焼山の裾野を巻くように延びていく。勾配は緩く、ひたすらトラバース気味にどこまでも続いていく。そして、視界が開けると大きく抉られた沢に出た。遠目からも「荒れている」感が迫る。アルミの梯子、ロープが今にも沢に引きずり込まれそうになっている。恐ろしげだ。同様の沢を2本クリアーすると、登山道はまた緩やかになっていく。ちなみに、藤島玄著「越後の山旅」には、荒れた沢の記述はなく、このような状況になったのはいつの頃からなのだろう。それにしても、この登山道を管理されている方たちの苦労を思うと、その大変さが身に迫るようだ。
更に進んでいくと、登山道は沢筋に入り、金山との分岐に着く。分岐には、大きなザックが数個デポしてあり、遠くから刈払機のエンジン音が響いていた。おお、あの方たちが登山道整備をしている方たちなのだろう。感謝である。そして泊岩。まさかの名前通りの、泊まれる岩だった。ちょっと藪が濃くなってきた箇所を過ぎると、低木はなくなり、砂礫の登山道になっていく。荒々しい焼山が迫ってきた。ずりずりと足元が安定しない中、ついに淵に到着。すげ~!火山だ。溶岩ドームだ!
そこから山頂は遠く。火口を巻くように道は延びる。急な鎖場を乗り越えると、前方に笹ヶ峰、乙見湖を窺える。右手には金山から天狗原山の嫋やかな尾根を望むことができる。アップダウンを繰り返し、遂に山頂到着。ガスの切れ間から火打山、妙高山が姿を見せてくれた。山頂付近を散策後湯を沸かし昼食を摂る。山頂でゆっくりするのもいいものだ。
さあ、長い下山に入ろう。傾斜の緩い登山道を話しをしながら登山口に向かった。今度来るときは冬だ。北面台地を滑ろう。
展望台から焼山 |
この時はまだ元気だった |
危険な沢を横断 |
その昔は簡単に渡れたらしい |
そのままの名 泊まれる岩だった |
海谷山塊 |
高松山と昼闇山 |
緑のトンネルを抜けると |
大岩 |
ロープを伝い |
迫る溶岩 |
山頂にて |
金山~天狗原山方面 |
大きいと評判の火口見てみたいです。
返信削除怖いもの見たさで登ってみたいですが、なかなか大変そうですね(^_^;)
新潟県人なら、是非一度訪れては‼️
返信削除また、活動を始めたら登れなくなります🌋